2015年度に開始した地方創生政策の目玉である、「まち・ひと・しごと創生総合戦略」第1期が終了し、2019年12月(コロナ渦前)には第2期計画が始動しました。このころから、盛んに関係人口というキーワードが使われるようになります。それまで使われてきた交流人口とは何が異なるのか?関係人口は、価値のある言葉だと思います。しかし国の解釈では、どうもその意義が狭義的な気がしてなりません。関係人口について少し考えてみる機会になればと、一文したためます。
総務省のいう関係人口には、無理くり感がある
2015年の地方創生戦略は恐ろしい「ばらまき政策」でした。もちろん過去にもリゾート法をはじめ、都度つど困窮する地方自治体への「天からの恵み」のような交付金に群がりました。バブル期のリゾートマンションから、ゆるキャラや100円商店街とかご当地ヒーローなどなど…社会現象では済まされないものばかり。
第1期2015年の場合、都市集中を緩和するという名目となり「シティープロモーション」という当たり前ですが、かつてない、できなかった挑戦に全国の市町が直面します。外国人の皆さん、うちのまちに住みなはれ…ということでテキトウな外国人がわがまちを紹介する“とんでもないYouTube動画”が増殖しました。現在、ほとんど死んでおりますね。しかし、あれに投与された国家予算は莫大です。どれだけ効果があったのでしょうか?市町は実数を表示することなくKPIを報告するだけです。まあ、効果はなかったケースが多いのでしょう。
第2期まち・ひと・しごと創生総合戦略とは
2019年12月、第2期「まち・ひと・しごと創生総合戦略」が閣議決定されました。新たに大項目として「横断的な目標」が追加され、横断的な目標には「多様な人材の活躍を推進する」、「新しい時代の流れを力にする」という、わかるようでわからない言葉が増えます。こういった言葉が“怖いもの”だったりするのですね。
図に示したように人口減少を交流人口で補おうとしたのが第一期。しかしとてもそれが現実的でなくなった(アベノミクス)ため、新しいカテゴリーとして“関係人口”という言葉を増やしました。
いや、それは“もともとおったやん”人口であり、いまさら何を…という印象がぬぐい切れません。KPIを設定するため、国は右肩上がりの世界観を形成せねばなりません。大変残念です。
関係人口はもっと意義ある定義ではないか?
KPI(Key Performance Indicator/重要業績評価指標)とはさまざまな案件に対して目標数値を定め、その到達度をしめすものであって“まちづくり”にそれがふさわしいのかと考えると、そもそも間違っている気がします。
まちはヒトと同じ、多種多様であることが大切なので。
そういった思想のないまま新たなカテゴリーとして関係人口を増やすことにより、なんとなく経済が回っていると見せかけるのは罪悪(国のプロパガンダ)ではないかと。
かなり迷惑なのですね、関係人口というものを考えていかねばならない、もちろん指標化せねばならない側にとっては。なぜならまちもヒトも「関係」が複雑化すればするほど、面白くなるわけでして。関係人口はもっと意義ある定義ではないかと思うのです。
関係人口という言葉、以前から…
そもそも、観光交流によってまちが栄えるという根本的な思考に対して疑問を持つ弊社は、交流の定義に異論を唱え続けています。一部の事業者に富が偏る…それ、実は現在の社会情勢というよりは、歴史的・構造的な課題だから。
2016年「島本町定住観光促進モデル」より
まちとヒトの「ハッピー」を求め、提案を続けています。いくら観光客が来ても、テレビで紹介されても、それがまちの価値が上がっているとは感じられないからです。
住まうもののQOL(クオリティーオブライフ)が上がらないと面白くない訳ですね。つまりはKPIよりQOL優先。しかし…これらは新型コロナが蔓延する以前のお話であり、まちも、ヒトも新しいパラダイムを模索することになってしまいましたが。ハッピーどころではない。
さくら、旅に出るよ…と、寅さん
旅はいろいろな意味で価値があります。交流とかよりは関係です。
パラダイム・シフトのなかで「弟子入りする」「結婚する」「迷惑をかける」「卒業式を見送る」「助けてあげる」など主体的な行為は旅となるでしょう。
もちろん、ふらっと立ち寄る、ぶらぶらしてみるも関係を生み出す意味で重要です。旅の価値を考えるうえで、観光交流をステップアップさせて関係交流へと深化させる。そういう風に導きたいものです。
決して、KPIを優先するのではなく。
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