一点集中型観光が旅行業界にとっては美味しい…祭礼観光。大規模な祭礼となると、バスやホテルだけではなく、観覧席や付随する弁当などのビジネスも太い。こういった脈をとり逃さぬべく、大手旅行代理店では旅ホ連、観光協会、行政に足を運ぶ。しかしコロナ渦下の3年間…絶対美味しかったものは低調となり、事前の宿確保やキャンセル対応に多大なエネルギーを使っている。
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岸和田における6年間の試み
写真はすべて2017年8月から9月の祭礼直前までを期間とした“岸和田城周辺まち歩き周遊キャンペーン「まつり前 岸和田城下町」”のポスターだ。地元で活躍されている、個性的(というか、今考えるとレトロなのかも?)アーティストの薮内博さんに無理を依頼した。
もともと、地方のバス会社以外、岸和田だんじり祭には関心度が弱かった。またホテルも少なく、当日は祭礼関係者がほとんど確保している(通常の3.5倍程度の祭礼時価格がある)。飲食店や土産物屋は祭礼時、曳行の妨げになるため。観光振興プロデューサーとしての肩書があるうえで、この由々しき事態を打開する必要を感じたわけだ。
岸和田だったから、強い共感を得れた
薮内さんの絵は、こちらが「俯瞰で見て道路にそれらしい人が多ければ、それが楽しい、ただし昭和40年代の終わりごろの設定で…」という依頼だったのに対して、まあ、屋根をスケルトンにして、おうちやお店でのまつり前の特殊性を描きこんでくれた。風呂屋まで細かく描写されている。
企画を推進するうえで、直感的に感じたのは岸和田市の第1次観光振興計画(当時)にも書いた“岸和田の風”というものが発生しやすい状況にあるというものだった。今でいうところの関係人口の増加であり、他所から来たものに対して、実はわがまち自慢がしたいという市民性がそのきっかけになるだろうと。ちょっと地車関連の専門の固有名詞はついて行けないが。この企画は、今でも市民アンケートなどで復活を望む声が確認できる。
ハレの日は個人的なゲストもいるし、観光客にかまえない
あたりまえである、我が家の祖父も父も娘も息子も…みんなが祭りのなかに居るのだから。逆に考えると、祭が近くなってハイテンションになっている市民は「(相手が素人なら)しゃべりたくて仕方がない」わけで、それでなくとも盛り上がりを見せる飲食店に2軒ぐらいは案内してもらえる。小屋案内は必須…何なら自宅に来いという勢いだ。このありがたい待遇は、個人的には何度も受けた経験がある。
各自宅、祭礼の日はゲストはおおよそ決まっていて、時間配分などを考えながらお母ちゃんが献立をたてる。それゆえにまつり前のスーパーは大変興味深く、全国から食材が集まる(祭礼価格、しかし経済効果は莫大)。それを見るだけでも興味深い。各町のだんじり囃子が辻を曲がるたびに変わり、昼の暑さを逃れた小さな子どもとお年寄りがたたずむ姿。練習する青年団、後梃子組…。うらやましい光景がそこに広がる。
まつり前は全国的に対応できるのでは?
祇園祭の先祭は、集中する観光客(インバウンド)を分散させて、観光収入を増やす目的が強かったように感じる。しかし岸和田ではそういった栄養分を吸収する柔突起が少なく、それならばという発想で関係人口増加をもくろんだわけだ。
しかし、なぜか今、コロナ渦下にあるなかでも祭礼当日観光が主流を占めている。旅行業界は、まつり前需要に気づく必要がある。
しかし、「バスがいっぱいになってなんぼ」、「宿がいっぱいになってナンボ」で競争するのが精いっぱいなのであろう。その性格は保守政党のようであり、また道路や鉄道インフラも右肩上がりで“あり得ない未来”を描く。市町村も悪い。観光ジャンルは基本マルフリで、何かあっても祭礼団体、業者の責任を問う。テキ屋の存在などはグレーのままだ。
変容する伝統的な祭の今に関わってほしい
何がまちのためになるのか?今一度問いたい。日本のほとんどの祭が、後継者不足に悩んでいるはずだ。ハレの日だけ鑑賞して「あぁ、あれは観たことがある」で消費されるべきではない。祭はどこも課題を抱えて、あがいているはずだ。軽い感覚で「日本伝統ですね」と言われたくない。
メタファーとして祭を位置付けた場合、そこに複雑に絡む歴史や文化、生活様式などリアルに受け止めてほしい。祭礼観光を物見遊山で終わらせていれば、観光立国などあり得ない。こんなことを教えてくれた岸和田だが、なぜか6年でキャンペーンは終わった。理由は“公務員もまつり前は忙しい”ということだった。ほな、民間でやるべしなのだ。
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