渡邉さんの会社はアウトドアブームですから、儲かっていますよね!とよく言われます。また、現在の新型コロナウィルス感染防止の観点から、確かにアウトドアあそびが注目を浴びています。いや、しかし少し前からグランピングなどと称するサービスも胎動しておりまして…実際のところ、アウトドアブームというのは史実としてどうなのか?なぜにわが社は儲からないのか?解析してまいります。まずはターニングポイントとのPOPEYE創刊、1976年まで。
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前提として戦後日本の教育娯楽費を知ってほしい
グラフは1世帯当たり年平均1か月間の消費支出(全世帯平均)であり、総務省「家計調査関連の統計表」より<教養娯楽費>抜粋したものです。実は1993年に高止まりとして33,596円/月でして、それ以降伸びているわけではありません。平成中盤に入ると食費や通信費が増加し、いわゆる余暇、レジャーに対する支出は大幅な増減がないことをご理解ください。
無論、この内訳のなかにはギャンブルや旅行も含まれており、純粋なアウトドア消費はこの数値の1/10ぐらいではないでしょうか?
POPEYE創刊が節目?ライフスタイルの変化
1976年のPOPEYE創刊が節目として考えていくと、日本におけるアウトドアの歴史が読み解きやすいと考えています。なぜなら戦時中は例外として日本人にとって教育娯楽は“普段の生活”、“野遊び”であり特別意識するものではありませんでした。花鳥風月とともに豊かに過ごしていたところに消費文化が入り込み、別の次元としてアウトドアが入り込んだという見方です。
これは映画や文芸、ファッションなど同じ時期に同様の変化があったのではないかと推測できます。そこでPOPEYE以前、以降で分けるとそれ以前のアウトドアブームの存在が確認でき、大変興味深いのです。順に第一次から第三次ブームまでをご説明しましょう。
昭和30年代、バンガローから拡大する第一次ブーム
写真は昭和30年のサンケイライフより。「湖畔の青春譜」という特集記事で戦前、戦中派の若者が自然に囲まれ、男女アイアイとバンガローでキャンプしている姿です。訓練としての山行(修学旅行も同じ)などから反動的に余暇という概念が生まれ、海水浴やキノコ狩り、釣りなどが生活行動としてか確立し始めた時代です。
実はカトリック布教活動の一環としてのボーイスカウトの拡大(軍事教練をベースにしたため、飛躍的に伸びた)やキャンプファイヤー、飯盒炊爨(ハンゴウも実は武器であった)などがこの時期に定着し、この影響は今日にも続いています。
畳三畳ぐらいの怪しげなバンガロー…さすがに見かけなくなりましたが、あれはこの時代の遺物だったのです。カニ族というキスリングで旅行する方々の流行は、この後ですね。
マイカーの普及とともに第二次アウトドアブーム
突然キャンピングカーが発生したわけではありません。しかしその土壌はありました。マイカーというものが広がり「到達目的」が不可欠になるところで、道路整備が進みます。いわゆる「半島横断ブーム」が起こり、旅館などで連泊できない庶民はキャンプを選びます。
私自身、紀伊半島一周、丹後半島一周など家族旅行キャンプでお伺いしております。そんな父親たちのあこがれがキャンピングカーだったのではないかと。安く余暇を過ごす…残念ですがアウトドアの哲学とは遠く、経済性優先のあそびであった気がします。
キャンピングカーの内部…昭和48年の女性セブンより。イラストのキャプションは現在のそれと寸分変わらない。あくまでもあこがれ像であり、アメリカンな生活様式のひけらかしだったのかもしれません。
昭和47年、横井正一さんがグアムから帰って来て、予想できない現象が起こります。野外生活の可能性を余暇に転用する流れです。ここへきて70年代のカウンターカルチャーを混ぜ合わせて“あまり何も考えず”ばバックパッカーというスタイルが紹介されます。
なお、このころから「余暇」は「レジャー」という認識に変化しています。アウトドアという言葉はまだありません。
精神性、哲学を伝えてくれた方々がいた
「ちがうやろ」という声が出てきます。それはむしろ脈々と続く、日本のあそび文化、たおやかさなどを含みこんだうえで、米国のアウトドアの哲学を「うまく活用する方法」お教えしてくれた方々です。
写真は昭和49年、平凡パンチにおける芦沢一洋さんによるバックパッキングの記事です。なにゆえに生活道具を持って歩くのか、アウトドアライフの基本的な考え方を説いてます。また、文壇において開高健の役割は大きく、呼応するように浜野安宏、則弘祐など釣り業界からの発信が先行した印象が残ります。ある程度、アウトドアという言葉が見え隠れします。
決定的なのがPOPEYE創刊、カリフォルニアより
アウトドアという言葉を定着させたのは、昭和51年創刊の本誌であることを否定でないでしょう。スターウォーズ公開直前、このカルチャー誌の影響は様々な若者文化において大きすぎました。Tシャツ、ジョギング、フリスビー、スケボー、そしてアウトドア。まだドルが高額だったなか、米国中心のあそび文化に対応できていた日本人がその精神や哲学を発信したのです。
実はその二年まえに山と渓谷社が「OUTDOOR」という特別号を出版しており、POPEYEの引き金になったということは知る人ぞ知る事実ではあります。そしてようやく第三次になるアウトドアブームが幕開けし、日本あそび文化を含みこんで、独自の発展を遂げる準備があ整ったわけですが、歴史は意外な方向へ曲がっていきました。
はたして生き方(ライフスタイル)と消費は、うまくつながるのでしょうか?いや、そもそもアウトドアとは?今でも、そこの矛盾を感じます。その矛盾が弊社が「儲からない」理由の一つであります。
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