経済至上主義的な世界をめざすか、質の高い生きかたによる世界(quality of life:QOL)をめざすか、どちらが“人間の自然 Human Nature”なのでしょうか?私は後者だと信じたい。
ありきたりではありますが、新型コロナ拡散というピンチをチャンスととらえようと考えております。Human Natureという言葉、皆さんは意識したことがありますか?おそらくご存じない方が多いと思います。
ネイチャーは自然ととられるのが日本人。しかし英語解釈では違っておりまして、それは参考になります。ある意味…日本人が考える「自然」「あれ」「それ」に近いものを英語のほうがうまく表しているのかもしれません。
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Human Nature「人間の本性」と一般的には訳されるけど
「人間の本性」と訳されますが、そのものずばり“人間の自然”であるのではないかと駿台京都予備校の >>>表三郎さん が教えてくれました。私が高校3年の夏季講習のときです。わりとこの言葉に支配されたことは事実で、今、この短文を書いて、少しほっとしたりして。
さて今回の騒動で中学校の修学旅行(GW明けがピーク)はほとんど中止になりました。受け入れ側にとっても多面的に深刻です。積み立ててきたお金の払い戻しは「個別に修学旅行をやるべし」といった旅行券に代わると推測できます。戦前より莫大な売り上げを生んできた代表的なマスツーリズム構造は崩れていきます。GoToキャンペーンとか痛いですね。
グループ別の修学旅行…それは課題探求型学習に適しているうえに団体行動に縛られない濃密な発見・交流が生まれる可能性があると考えられないでしょうか?質の高い旅(quality of life:QOL)は若者と受け入れ先に新鮮な驚きと大きな影響を与えるはず。
この騒動が激震ではなく、革新につながると観光関連の皆様に受け取ってほしいところです。
お金に換えることがそれほど良いのですか?
クリエイティブをしようと考えたら…気が付けばお金に換えることを前提でしか創らないようになっていました。それはネットであったり動画であったり、文章であったり…絵を描くといえば今では絵コンテなどぐらい。
思い起こしてみれば時間があったとき、たくさんのスケッチを描いていたのに。すべては時間の無駄だったのかもしれませんが、自分自身、金銭換算を大いに判断基準としていることに気恥ずかしく感じたりもします。この絵を描いたのは29歳のころ…
高校生になったらキャンプに行くべし
高校生になったらキャンプに行くべしです。バイクでもいいし自転車もいい。取得したての免許で親父の車に乗ってでもいいでしょう。高校生時代の自分の写真をご紹介しました。
パッキングは自分に必要なものを、道順は想像力を、発見は素直な自分を見つけることができます。この時期時間はおいしすぎると思いつつ、うちの高校生は夜行性の昆虫のような生活を続けてやがりますが…
カリフォルニアで…境界を感じる
「正常性バイアス」とは、自然災害など危険が目の前に迫っていても、日常生活の延長線上の出来事だと判断し「自分は大丈夫」「まだ安全」などと思い込んでしまう人間の心理的な傾向を示します。ある意味ではHuman Natureなのかもしれませんが、忘れていたかのように2週間前と同じような渋滞、無防備な公園の人々を見ていて、まさに今、日本では「正常性バイアス」が働いており危機を感じます。
自分や家族の時間をこの機会にゆっくり使い、なんとなくな雰囲気にのまれないよう楽しめないものでしょうか?年度末進行中ゆえに、弊社ではなかなかそうもいきませんが…。写真は渡米中に見た月を描いたもの…レイクエルシノアのモテルの窓から。
ここのところ「境界」というものを強く意識するようになっています。国、人種、文化その他もろもろ。グローバルという言葉が危なっかしく思えていたのはずいぶん前からでしたので。
江戸末期、八丈島には外国人のコミュニティーが少なくとも八つあったといいます。漂着による偶然的な事態かもしれませんが、人間のなかに潜む自然とは、越境してしまう願望があるのでは?茶道などにおける結界とは,強い意識のうえでそれらを遮断するものなのでしょう。意識しないと断ち切れない…それが流動的な「境界」なのですね。
「おこること」
バイクの免許を取得したのは高校3年のとき。ヨノナカの制度や仕組みに腹を立てて、おこることを堪えて走り回りました。
そこに無理があったのか齢19歳で十二指腸潰瘍になって腹を切りました。「おこってもよい」と自覚したのは30歳で独立開業をしてからで、ようやく気が付きました。
さて…じっくり考える時間がある方も多いと思います。今は政府に対して「おこっていいとき」だと思われますが、いかがでしょうか。
「オヤジの教え」
請求書の出し方、得意先との話し方、トラブルのときの対処方など、中学生のころからバイトとして父親の仕事を手伝うなかで、自営業者にとっての哲学を教わりました。
いま思えば英才教育だったのかもしれません。おふくろもオヤジもずいぶん前に亡くなってしまいましたが、オヤジの城だった自宅を解体することになりました。建物はなくなりますが、教えは引き継ぐことができると信じております。
Human Nature 未来へ
オンライン授業やWEBによるアーカイブ公開が進めば、たとえば“博物館不要説”といった危機が来るかもしれないなとこれは「先生むけの指導書…いわゆる“虎の巻”」が流布する状況のなか、体験的な学習の死滅につながるのではないかと考えてしまったりします。現にうちのボケは回答集を見ながら課題やってます。学びとは何ぞと。
さてどうしたものかと考えあぐねていたら…「戦国武将は人を殺しまくった…家のために血を流しすぎたから…茶道が流行った」という革新的なお考えを申されます。昨夜、ボケとエヴァQを見たからか?しかし、どこかに学びはあるのですね。
やれやれ