この映画、この芝居…非常に限られた個人的な世界なのですが、どうしても正装で観に行く“しきたり”が自分のなかにあります。これは自分自身のテーゼであり、父の教えに基づくものです。作ってくれた方への礼儀というか…しかしこれからオンライン公開化進むとしたら、イヤハヤどうしたらよいものか?
Contents
1.限られた正装で見る映画、お芝居
私の場合、007シリーズと宝塚歌劇に関してはネクタイを締めてスーツで鑑賞することになっております。ネクタイに関していえば独立開業してからというもの、冠婚葬祭以外は締めることがありません。サラリーマン時代はそれこそ、30本ぐらい持っておりましたが、現在手元のネクタイは黒、白、その他5本しかありません。その他5本については観劇用なのです。
なぜそういうことになったかというと「制作者に対して本当に敬意を表するなら、そのときの服装は考えろ」という父の教えに基づくものです。たたき上げのサラリーマンから独立開業した父は、なぜかそういう方面、ドレスコードを強く意識していました。
私なんぞは独立開業してからは「エリついてたらいいでしょ」という感じです。
2.強く感じたのは宝塚大劇場のラウンジでした
<写真は公式ページより>
バブル後期ごろ、クラブやリゾートのディスコで私自身アルマーニのスーツで遊んでいたことはありました。今考えると恥ずかしくてしょうがない。ミナミのマハラジャで柔道の山下さんが表彰される姿を、ぼんやり似合いもしないダブルのスーツで眺めていた記憶があります。時代も時代、20代の若者の七五三のようなもので、誰もが踊っていました。ダブルのスーツの意味など知る由もなく、なぜか肩パッドが大きかった(笑)。
独立開業後、天海祐希さんの「ベルサイユのばら」を宝塚大劇場で観劇する機会に恵まれました。わけあってご招待。大劇場へはそれまで3回ほど歌劇鑑賞に訪れましたが、今回はご招待。ダークスーツにネクタイ締めて…そこで初めてドレスコードの重要性に気づかされました。ラウンジでカクテルをいただきながら、そうか、そういうことかと納得したわけですね。周りの紳士、淑女の皆さんを見て。七五三のままではマズイ立場に自分もなっていました。
余談ですが、このときのベルばら、もう泣けて泣けて…スーツを着ていてよかったと実感してしまいました。、
3.理屈がわかると、DVD鑑賞も変わる
確かに…高校時代には円谷東宝映画をオールナイトで見る折、かなり気合を入れいてオシャレしていった頃もありました。「制作者に対して本当に敬意を表するなら、そのときの服装は考えろ」なのです。今でも007シリーズなどは炬燵に入ってみることはあれども、寝転んだり何かを食べながら見ることはしません。
一時、スターウォーズなどはまじめに見ていましたが、現在の低レベル作品(デズニー以降)ではおしりかきながら途中で鑑賞をやめたりもします。脳と感性、直結する行動は正直です。
4.クレイグになってからの007はばっちりキメて劇場へ
カジノロワイヤル以降、007シリーズはキメキメで劇場に参ります。それだけの価値があり、かつ、期待を裏切られることはありません。カジノロワイヤルに限っては京都の映画館で鑑賞したため、帰りのクルマでスピード違反で捕まったほどです(あほ)。
ドレスコードを超え馬鹿ぶりです。むかし、健さんの映画を見た先輩たちが、みな肩を怒らせて映画館を出ていったという逸話は、実によくわかります。映画館や劇場というものは、単に再生されたフィルムを見る場所、映画が見れる場所だけでは済まないのです。何を着ていこうかから始まり、その道中、喫茶店、飯屋、電車や車の移動、すべてのプロセスを包括した「映画、芝居を観る」という行為なのですね。彼女と初めて行った映画などは鮮明な記憶が残っています。
5.さて…オンライン公開になったら、私はどうすれば?
新型コロナ感染症予防という観点から劇場公開は形式的なものになり、事実上オンラインの有料配信が一般化するとみられております。シンウルトラマンとか新エヴァンゲリオンならそれでもいいでしょう。あまり気にしません。炬燵に入って寝転がって、鑑賞しても気にはなりません。
しかし、新作007「 ノータイムトゥーダイ」が問題です。無論チケットを購入して、息子を連れて二人で正装して鑑賞しに行くつもりですが、もしかしたらこれが最後の機会になるのかもしれません。クレイグのボンド引退作品を軽く観るわけにはまいりません。もちろん、後日DVDは購入するわけですが…
こういった行動、文化は死滅していくのかもしれません。有償オンライン公開が普通にになったとしても、息子の前では正装して自宅で炬燵に入って、鑑賞するしかすべはないのかもしれませんね。デートで映画館に行くことも無くなるのかしら…それはあまりにも無残な時代変化であると感じます。
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