中東などで少年兵が持っているカラシニコフ機関銃などの映像を見て、この子どもたちの危機感については、残念ながら共感できず、悲惨としか映りません。人類は武器なしで価値の共有、異なるものを受け入れることはできないものなのでしょうか。いや、おそらくそれは無理なのです。それは武器そのものが「人類の進化と平和」の象徴だから。
武器を知ると、その背景、世界が見える
過日の報道…アメリカ軍が去った後の占領軍がM16 5.56ミリ口径を持っており、ゾッとした次第。全米ライフル協会や機動戦士ガンダムにおけるアナハイム社の立ち位置を考えると、当たりきシャリキですね。みなTOYOTA最新のハイラックスに乗り、驚きました。武器の流通というのは恐ろしいもので、それらは常に分析され、新商品として生まれ変わります。
ナチスのV1、2,3開発ストーリーなど観点を変えればアメリカ軍に亡命した研究者は、結局どこへ行っても武器を作っていました。いうまでもなくノーベルしかり。
武器は変化の速い時代で人知をしめす
幼少期、武器といえば怪獣映画の光線銃(メーサー車などやピストル型)があたりまえだった時代「ルパン三世」のエンディングテーマが一年生の心に刺さりました。ワルサーP38、共感できる世代の方、少なくないでしょう。なんとなく武器…が突然リアルになる。大塚康生さん、先日亡くなりましたが、偉業だったと思います。
そこに、人を殺す道具という重みが見えてくるのですね。そしていつまでも使わっれる武器とそうでない武器。国によって、また経済や資源の状況によって、流通によって武器は形を変えます。
あたりまえですが、大規模な戦闘では多くの武器が生産され、再利用されるわけです。そして、また隠す。「七人の侍」では明確にそういった表現がありました。最先端で長持ちする武器は、刀剣、銃、大砲、戦車、そしてクルマなど汎用性が高いのです。
オセアニア諸島のレイオマノに思う
レイオマノという武器が国立民族学博物館に展示されており、いつも気になります。この武器は集落同士の争いで使われる長いこん棒で、ネズミザメの歯が恐ろしい数、民芸品のように埋め込まれています。こんなもので殴ると、こん棒の一撃よりも傷跡のほうが深く残ります。むしろ、殺すのが目的ではなく、一生残らない傷、後悔を刻むためです。
絶海の孤島、集落同士の争いにおいては絶対的な生産者の減少は島民全体の死活問題であり、致命的な傷を与えてでも協調する智慧(平和?)が必要だったのでしょうか?とすれば、深い傷を心と身体に与えることができれば、穏便な解決に近づけるのでしょうか?平和には武器が必要なのでしょうか?
正義の敵は判断したためしがない。
ここより引用
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わたしはそういう武器を見ながら、幾多の戦いを想像し、おのずから心悸の高まることがある、しかしまだ幸か不幸か、わたし自身その武器の一つを執りたいと思った記憶はない
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「侏儒の言葉」芥川龍之介
青龍刀、銀ピカの房の付いた刀、反った合わせ鋼の刀、こん棒。それぞれの思想と信仰が入り混じります。ドローン兵器やイージスシステム(国税で買うんですがな!)と比較すると、その時代はまだよかったかもしれません。
戦わないこと…オロカナル人類はそこへたどり着くまでまだ数世紀かかりそうです。ただしかし、武器を知ることは、文化や信仰を含めた人間の英知と技術の結晶であり、冷静に観察するのは意義があると思います。
簡単に国土防衛ということなかれ。河原の石ころ一つでも、殺傷能力の高い武器なのです。ましてや生体化学兵器など…
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