ネット、テレビ、ラジオなど普段身近にあるメディアを通じて、「こだわり」という言葉を一日に何度聞くか!読むか!言葉として大変便利に使われていますが、全く分かったようでわからない表現であることは、少しとどまって考えると解るわけですが。なんとなくスゴイ!と協働的な幻想でもって、誰もが使っているあたりに、発信者の表現力の弱さが見え隠れします。
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そもそも否定的な、残念な表現であること
手元の辞書によると「気にしなくてもいいようなことが心にかかる。気持がとらわれる。拘泥する。」とか「故障をいいたてる。わずかのことに理屈をつけて文句をいう。なんくせをいう。」という意味です。英訳を見ると…「prejudice:偏見・こだわり・先入観・先入・毛嫌い・色眼鏡」、「hitch:こだわり・邪魔・邪魔物」といった紹介があります。
みなさんは「こだわり」と見聞きしたとき、このような否定的な印象を感じますか?おそらくそうではなく、善い行いであるとしてうかれてナットクしているのではないでしょうか?
なぜそうなるのか?自身の経験から
「こだわり」という言葉を肯定的に使いだしたのは、バブル景気のころではなかったかと感じています。そのころはまだ「あんたこだわりすぎ!」とか「こだわるな!」など、否定的な使われ方もしていましたが。
バブルの終わりごろ高収入を得れる仕事として、カフェバー(死語か?)専門のライターとして1軒あたり5千円でピ〇やプ〇ジャの別冊カフェバー特集の記事を書いていました。神戸、北摂をクルマで移動して取材し、写真をとって手書き原稿とチェックしたベタ焼き、ネガでの納品でした(全部死語)。キャッチ、ボディーコピーと正確な付属情報を加えるのですから、大変といえば大変。
文字量に反比例してコピーワークが甘くなっていく
会社に内緒でしたが、10店舗書けば5万円。副収入のほうが儲かるうえに、当時の花形職業のコピーライター気取りでした。そのうち手を抜き始めると、表現が甘くなっていきます。最悪なのは言ったこともない店を、立地情報や歴史を踏まえてボディーコピーをつなげるようになりました。
最低なライターです。このころ頻繁に自分自身使った言葉が「落ち着いた内装」と「気さくなオーナー(もしくはマスター)」、そして「こだわり」なのです。現地での取材はこっそり隠し撮りしておけば、そこそこ通用するのです。そしてまた、その原稿を好評価するような時代でした。
ある日、編集に電話がかかってきました。「俺はこんなこと言うていなぞ!」あたりまえですがな、あなたには一度もお会いしていないのだから。編集長と私と謝罪にお伺いしました。編集長は「まぁ、取り上げた私ども観点がズレていなかったわけで、宣伝になりましたでしょ?」と。
えげつなく、バブルを象徴するような話ですが、実はこれ、現在も横行しております。
今も応用される「電撃取材」
事前調整なしでタレントやレポーターがお店に突然現れる、いわゆる電撃取材…いやそれ以前にテレビでおなじみの方が「どんなこだわりがありますか?」と店主に問うという構造あたり、めちゃフリであり、店主は突然「こだわり」を考えなければならなくなります。
グルメ番組では顕著なのですが、それがいつも間にか常識化して“短い尺のなかで、わかりやすく表現できるか?”になっていきます。さらにそれがネットメディアに載り、最低表現水準になります。わかりやすさというものは、そんなアホなものです。
Meets Regionalの出現は大きかった
関西系情報誌Meets Regionalは、尻の青かった私を奮い立たせ、ライター裏稼業をやめることにつながりました。ほかの情報誌と決定的に異なったのは緻密な取材と、同様もしくは近隣店舗との相関的な位置、味などの表現でした。
「仕事はこうあるべき」と教えていただけました。「こだわり」…でもね、その理由はね実はね…あたりまえの表現をライターとしてあたりまえに記述する。デートのお店をさらっと探したいなら、本文読まなくていいよ。というポジションであったとおもいます。神戸というバックボーンがあったことも、大きく作用しました。関西ウォーカーのほうが、圧倒的に売れてはいましたが。
すぐ「こだわり」を使うヤツは注意すべき
行政へのプレゼンをはじめ誰かさんの企画書など、いろいろな場面で「こだわりの紹介」などという記述を目にする機会も少なくありません。完全に肯定的な意味に差し変わっているうえに、「○○○にこだわっているのです」という店主の言葉を期待するムードになってしまいました。
納得できますか?私はナットクできません。食文化に限らず最新テクノロジーやサービス分野にいたるまで、「こだわり」で済ましていいものかどうか。発信するメディアは「こだわり」で逃げてどうするのですか?踏み込んで取材することを忌避してどうなるのでしょうか?「こだわり」という言葉が出てきた時点で、そのメディアに対する評価は、私のなかでランクが3つ下がります。
端的に記すとそのメディアは「私どもは深く知る気も、発信する気もありません」と思えるからです。
絶対に使わない浜村淳
MBSラジオをお聞きの方は、注意して鑑賞していただけると勉強になりますよ。かの浜村淳さんは広告原稿であっても、クライアントにカミついてでも「こだわる」という言葉は使いません。これは意地に近いものかもしれませんが、おそらく私の思うことと思想を共有されているのだとシンパシーを感じます。
私の知っている限り、彼も現場主義。早朝のラジオに備えつつ、映画はもちろん最新のLIVEステージ、さらにスポンサー企業訪問など恐ろしいほどの取材をされています。知り合いという関係ではありませんが、何度も現場でお見かけしたことがあります。
さて…「こだわり」という言葉をフツーに使いまくっている皆さん、特にメディア関係者。頭のなかでカンタンなトレーニングを試してみてください。「こだわり」というところを、「こだわり」を使わずにどう表現できるか?わたし自身がそうだったように、皆さんの表現力が豊かになるはずです。
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