聖地巡礼という観光行動が一般化し、はてさてそれはどんな観光産業を伴うのか?いろいろな事例を見てきましたが、案外一次的なもの…つまりは当該社寺であったり、ドラマゆかり地などが多く、周辺産業への影響は感じられません。昭和の時代には○○饅頭とかいろいろあったのに…ではそのお手本とはどういうものか?阪急宝塚駅に行ってみた。
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タカラヅカはまちの価値を引き上げている
小林十三さんの思うつぼというか、実は都市開発と娯楽が一体になり成功した例だと思います。ステイタス、土地価格の価値向上とか、もともとの姿(田畑)が激変したのはいうまでもありません。それが今も続いているわけですね。駅前は意識する以前からテーマパーク化しております。
都市ブランディングという意味では、すべてないところから作り上げた都市として考えると、阪急→ハイソサエティーという構図がありきであり、今日も続いています。その拠点は、おそらく神戸ではなく、宝塚なのでしょう。千里のルーツは船場にあり、これはまた性格が異なります。
いわゆる駅前通りは…差し入れ需要
コロナ渦下、平日の訪問でしたが、生活圏ともミックスされている駅前だけに一定の賑わいがあります。歩いている方々がオシャレ、おばあちゃんもジェンヌに見えてしまいます。
ゲストのお目当て、宝塚大劇場も残念ながら休演中(しかし入館は可能で楽しめる)。では産業は死んでいるかというと、活きいきしている。飲食店、団子屋、服飾店などなど。以前ほどに消費行動は弱いにせよ、ヒトは動いていました。
本物ジェンヌへの差し入れ…そういった需要は強い。ジェンヌOB関係者のお店も多いと聞きますが、聖地として不動な位置に達しています。ラン…「出待ち」は自主規制によって見かけないことは、大変行儀がいい。そのなかで、お花を届けるという行為が普段通りにあるのでしょう。本質的にこれらが、商業行為を支えていると見えます。
しあわせになれるタカラヅカのチカラ
近年移設された宝塚ホテルの1階ラウンジ。お休み中だが、旧館より持ってきた調度品のラグジャリー感がすごい。駅ピアノもあったけど、このグランドピアノと一体になったテーブルは気軽に弾けるものではありません(弾いてみようかと一瞬感じた自分が怖い)。
資源が視覚化、そしてコト消費にダイレクトにつながっている様子が面白い。
私ですらネクタイして行った大劇場
軽い気持ちでは立ち入れない宝塚大劇場。少々調べていくと、こちらのほうがテラコッタの使用時期は早かったようで。予約券販売、グッズ、なりきりジェンヌコーナー、ミニミュージアム。地方から来られた方、定期的に来られる方が入り混じっています。
幼少のころ宝塚ファミリーランドの「鬼太郎のおばけビックリ道中」とか、成人してから驚いた「サスペリア学園(ARあったよ)」など宝塚の訪問歴は多いのですが、大劇場には今でも委縮します。
赤いカーペットのラウンジで、観劇前にドライマティーニを飲んだりするのは40代を過ぎてからです。私にとってもそういう場所。
聖地の王道とは、その歴史を共有し生活の中にくみ取り、そして覚悟を持って提供する。簡単ではないですが、そういった凛々しさが必要なのでしょう。
異色なのは市立手塚治虫記念館
久しぶりに訪問したのですが、考えてみると案内看板が少ない。大劇場にまけています、1/100ぐらいの存在感という感じです。立派な施設ですし、感染症拡散防止の観点からも頑張ってはります。
しかしながら、宝塚大劇場の存在館、ジェンヌファンにとっては残念なことに手塚治虫は二の次なのかもしれません。もちろん、ここを聖地として行動される方も多いのですが。その方々にとっては、商店街を抜けるまでのジェンヌ世界は「異世界」に映るのでしょうね。
聖地が二つある両義性
手塚治虫ファンとしても、少々申し訳ない気がしてしまうのです、肩身が狭い。二兎を追うなら、設計を相当練らねばならない。そういうことでしょう。決して宝塚市の都市計画が悪いというのではなく、あらゆる聖地において、想定する必要があるのかもしれません。
分散化…が感染症拡大防止には不可欠な要素であり、これからの旅のあり方になるでしょう。実はそのほうが周辺ビジネスが広がりやすい。ましてやオンライン化が進んでいるなかで、実物に接触できるまちになればなるほど。
さまざまな聖地が日本中にあるなか、それを抱える市町の皆さん。ぜひ、自由な感覚で阪急宝塚駅を歩いていただきたいと思います。面白いのです。
(※いやあ…以前宝塚市のまち歩き企画があり、提案をお断りした経過もありまして、今現在…反省しておりまする。)
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