「デート何する」のGoogle検索数を見ると、179,000,000件あった。これはニーズがある…というよりは「デートは何するもの?」と尋ねられる件数ではないかと思う。確かに普通のものではあるが、齢57にもなると「デートせぇへん?」とは言いにくい。デートはずいぶん変わっているのだろう。しかし今、デートがしたくてしょうがない。
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幼児期に聞いた“ケロヨンとデイト”
トラウマに近いのだが、幼児期実家にこのレコードがあった。「忘れちゃいけない大事なデイト」といったフレーズはいまだに鼻歌で出てくる。さっぱりしたこのメロディーはどうやら人生観に染みついたようだ。
で、この原初的なトラウマに再度戻りたいと考えている。改めて人生を確認したいのである。
人生初デートは…この悪ガキ
人生初デートはかわいらしいものだった。京阪電車に乗って平安神宮に行って、冷麺とかき氷を二人で食べた。当時交換日記をしていた女性と、中学2年だ。ケロヨンは不在。
現在なら哲学の道へ行って「ゆばに」あたりで食事だろうか?
「何する」なんて疑問は昭和にはなかった
大学時代は毎日がデートだった。除籍になるのだが、スチワーデス志望の女性が多かったために授業そっちのけでトッカエひっかえ毎日過ごした。
若いとき散々デートした。核心には近づかない、さっぱりと終えて分かれる…どちらかといえば恋愛を伴わない趣味だった。人生一度きりの「モテ期」だったのだろう。
その後も女性たちと交流は続き、ハーバー、歩道橋、高圧線の台場などでワインやシャンパンを楽しんだ。「何する」なんて疑問は昭和にはなかった。
別居して8年、離婚はせず。
結婚後子どもができ、ほかの女性との交際はしてない。デートはもちろん続けたが…このあたりは続けておかないと刺激が続かない。しかし、特に妻との別居後は最小限にした。
しかし、そろそろデートで新しい風を呼び込んでもいいのかなと思う。
息子とのデートは「何する」を考えざるをえない
息子は18になり、ウチはよく話をしていると思う。しかし、令和と昭和では決定的な隔たりを感じる。どうも「楽と楽しい」を混同しているようだ。スマホでちょいちょいと既成情報を得て、知ってる知ってると言われるとそれはどうかと思う。
「楽」を押し付けられ、それがあたりまえであるなか「デート何する」は必然的な問いかけかもしれない。映画館のある施設でサイゼリアに居る若いカップル、兎我野町や島之内で見つける不釣り合いなカップル。「何する」の結果がこうなのかと感じる
令和のデート、試してみたい
「楽しい」を今一度自分自身と、女性(でなくてもよい)を試してみてもいいのかなと。「楽と楽しい」を伝える意義は昭和の爺には義務がある。
実質的にアウトドア産業は衰退し「楽」を志向している。pleasureとかQuality of lifeは日本語に訳しにくいが、大切である。easyとは全く意味が異なる。京阪バスと京阪電車を乗り継いで、平安神宮に行くのはeasyではない。
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