なんと縄文時代から存在が確認されているという曲げワッパの弁当箱。スギ、ヒノキなどの皮を加工して丸めて使うというのは、なかなか西洋では見かけない。すごいぞ日本人。針葉樹に含まれる化学物質が、微生物に対する抗菌性を持たせ、美しいフォルムは伝統工芸品になっている。
「山行き弁当」について
長持ちすることから農林業一般的に用いられ、風呂敷に包むシンプルなものだ。この利便性を知ると、ポリエチレンやアルミの弁当箱の味気なさを感じる。最近結構人気のようで、多様なサイズのものが販売されており、スーパーなどのポリエチレン弁当にも同じ様式のものを見つけられる。
特に紹介されるのは「山行き弁当」で、焚火で焼いた石を味噌を溶いたワッパ、蓋のほうに入れて即席みそ汁を作るというもの。私も林業系プログラムで何度もやって見せた。
しかし…本当の山行き弁当はもう少し奥が深いのだ。曲げワッパの蓋は蓋であるけど、早朝からの重労働、実は蓋も併せて三合を詰め込んだという。山師は現場について早速、切り、出し、流しなどの作業に取り掛かる。そのあいだ、小僧さんは焚火を準備する。ひと休みといって山から下りてくるのは10時ごろ。そこで朝飯をとる…約二合食べると。肉体労働の現場感が伝わる。
山師も漁師も、三合食べたら一人前
こちらは漁師さんの「ち~げ(丹後方面)」といわれる曲げワッパ。万が一のためにも浮きになるよう、ひもを通す穴がある。こちらも三合詰めるのだが、少しだけめしを残すのが習わしという。
それこそ万が一、漂流などの事態に対して備えだという。非常に合理的だ。おかずは梅干しや漬物少量が普通で、景気の良い時は煮干しなど干物が付いた。海でも山でも古老に教えられる(ということは昭和40年代ぐらいまで)ことは「三合食べたら一人前」だ。それだけ身体が欲しがるほどに、飯を食え!という話だ。
山行き弁当は朝二合食べ、昼飯として残りの一合をみそ汁と一緒に流し込んだというわけだ。
江戸時代の曲げワッパ、漆塗り
こちらは東寺の骨董市で手に入れた江戸時代の曲げワッパ。漆塗りにしてあるのは保存性を高めることと、野遊び行楽での使用も含めたものだろう。江戸時代のハイソサエティーは花見、蛍見、マツタケ狩り、虫聞きなどにこれらを持参し、どんなおかずを添えたのかと考えると胸が高まる。
杉のワッパと大きさを比べていただきたい。四合は入るが、おそらくおかずを豪華にしたものと判断できる。ハワイに移住した日本人たちが着物の生地裏を使ってアロハシャツを生み出したように、日本の弁当文化は米国にランチプレートを誕生させた。こちらも重労働のなかで、互いにおかずを譲り合って団らんしたという。
サイズの変更は案外融通が利く
「なみまくら」にて使用しているウチの曲げワッパは、つなぎ目にサクラを使って男性用、女性用とサイズを変えてオーダーメイドした。長野県塩尻市奈良井宿の木曽ヒノキを使用した「喜舟」さんのもので、サイズ違いや素材については結構リクエストを聞いてくれた。単価は既製品とほぼ同じ…曲げ細工の作業賃がそのまま原材料費という感じ。
もちろん耐久消費財なので、永遠に使えるものではないが、スギやヒノキが外材に押されている今、経木などを見直す生き方にクールさを感じる。こういうものをクールジャパンと呼ぶのである。
椀としての活用で西洋料理も
写真はタンシチュー。杉のかおりが肉の旨さを引き立てる。こうやってお弁当を野外で食べるのが“あそびをせんとや”という、方針であり個人的な異常な愛情が含まれる。
それだけに子ども持たせてやりたかったのだが、中学に入学した途端「オレ弁当いらんわ」とのたまわりやがった。それゆえ、この異常な愛情を向ける先は現在のところない。
デートの機会でもあれば、旨い弁当を作るつもり。いつのことやら。
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